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人形の趣をえがくという“念願”

  『そのうち書く』といったまま放っておいた小村雪岱展。いい加減月が変わる前に書かないと忘れてしまう(@_@)
 補遺の為に川越の展示も見てきたのでそちらと一緒に。

その一 埼玉県立近代美術館
 澁澤龍彦展以来三年ぶり?位で来てみました。雪岱についてはどうしても鏡花に関連付けて捉えているので雪岱をメインに据えて考えたことが無い。なので、資生堂社員時代や舞台美術についてはほとんど初見でした。舞台装置の原画は以前別の展覧会で少し見たことはありましたがこれほどの数は無かった・・・それにしては、『雪岱』の雅号が鏡花の発案だったのを知らなかったりする体たらくですが。

 もともとの目当てが鏡花本の展示にあったのですが実際に見てみると、


 もうね、もう、ここに住みたい!それで読み耽って暮らす!


と叫びたくなるほどの充実振り。

日本橋・櫛笥集(=由縁の女)・鴛鴦帳・愛艸集・芍薬の歌・星の歌舞伎・遊里集・愛染集・斧琴菊・・・


東京(関東)でこれだけ一度に見られるとは!!


鏡花物だけでなく他の作家の装丁もあり、水上瀧太郎・久保田万太郎・鏑木清方の本も。でもメインは鏡花ものということでしょうか。雪岱以外のものでも、清方や橋口五葉・池田(榊原)蕉園・鰭崎英朋の手掛けた鏡花本も一緒にありまして、

三枚続・乗合船・風流線・続風流線・白鷺・婦系図・・・

雪岱展というより“鏡花本展”かと思う位。極め付けに鏡花が帯に句を認めた紅梅図帯。直に帯に書き付けたもので、真筆を目の前にしてつい拝んでしまったり。(^_^;)


 雪岱の画業として装丁のほかにも挿絵の仕事があります。新聞小説や雑誌の挿絵の実物を相当量蒐集していました。本の装丁と違って単独ではあまり取り上げられないのでほぼ全て初見。モノクロの線画でもどこかぴりっと空気の引き締まった印象は変わらず。
 雑誌の表紙やポスターでは装丁や挿絵とはまた少し違うモダンさがあって画風というのか画題の幅広さをも感ぜられます。


その二 川越市立美術館

 常設展の一部としての展示なので近代美術館と違いかなり小規模でしたが、こちらは挿絵の下絵=原画を描く前の下書(ラフ)の展示が主となり、異なった意匠となってました。

 なんで川越なの?というと雪岱の生れたのがこの地で、ちょうど美術館のある地区に生家があったらしいです。小旅行気分で肩肘張らずに行けたのでこういうのもまた良いかと。
『おせん』の函絵(*)が長持のような木箱に女が入っているという構図で(これ、真紅様に和装して頂いたらそっくりになるな)とまたそんなことばっかり考えてたり。


(*)【邦枝完二代表作全集】第8巻『浮名三味線 色娘(おせん)』


◆ 

 さて、今回初めてこれだけの量を纏めて目の当たりにできたわけですが、その中で気が付いたことが一つ。装丁よりも挿絵の方で特にそうなのでしたが雪岱の描く人物、それも顔の描き方が妙に単調なのです。その答えも雪岱の書いた文章にありました。

####

私は個性のない表情のなかに
かすかな情感を現わしたいのです。
それも人間が笑ったり泣いたりするのではなく、
仏様や人形が泣いたり、笑ったりする
かすかな趣を浮かび出させたいのです。
これが私の念願です。
勿論一度だってその念願を達したことはありませんが、
この念願を極めるのが私の仕事です。

『挿絵のモデル』より (『日本橋檜物町』に所収)

####

 生身の人間から記号化するくらいまで余計なものを削ぎ落とさないと心の機微というのは表れないのかもしれません。薔薇乙女を例に出さずとも人形のほうが人より“人間らしい”と思う側面はいくらもあります。同じ文章の中で「写生と写実には興味が持てない」と言い切る雪岱の書いたものを読んでいると非常に鏡花のそれに近いものを感じます。

 

○ おまけ ○
 川越での帰りがけにひさしぶりに喫茶店に寄りました。大正期をイメージしたモダンな店構えで・・・って、白状します。ウエイトレスさんというか女給さんがメイドさんに見えたのでついふらふらと入ってしまったのでした。(^^; タイトスカートできびきび動くのがとても映えてました。
 動機は間違ってましたが、雰囲気のあるいいお店でした。ホームページがありましたのでリンクを貼っておきます。

シマノコーヒー大正館
http://www.koedo.com/taisyoukan/

| 鏡花研究 | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0)
木挽町顛末記


  (既に千穐楽も過ぎてますが)七月大歌舞伎で海神別荘と天守物語がかかるというのでこれは!と飛びついたものの…


 (ネット予約を見ながら)
 「むぅぅ、一等と二等しか残ってない(>_<)さすがにこんな高い席は取れないなあ…」


バチコーン!!


 「痛ッ!?・・・翠さん??」

 「まったく肝っ玉の小さい人間はどいつもこいつも諦めるのがリニア新幹線並みに速いですぅ!まだ策はあるですよ!」

 「営業運転だともう少し遅くなるんじゃ…じゃなくて、策っていうと?」

 「おまえみたいな貧乏人でも買える当日券があるですよ、これでさっさと行きやがれですぅ」


ゲイン!


 「わかった、分かりましたから如雨露の角で殴りつけるのは止めてください (´Α`) 」

 

 …という翠さんの助言でなんとか行けました。

 一般的に云うところの当日券、歌舞伎座では一幕見席(ひとまくみせき)といいます。
四階まで急階段で上がるしかなかったり(エレベータなんてものはそもそも無い)、花道が1ミリも見えなかったりと条件はかなりアレですが、値段が安くて済むのはやはり助かります。(一演目につき千円〜千五百円位です。因みに一等席だと1万6千円、二等が1万2千円 (*_*) )

 ただ、始まってしまえばそんなに意識することも無く舞台に没入できます。原作を忠実に舞台化、美しい文章をそのまま視覚化して見せてくれるという点においては、玉三郎の芝居がおそらく最上でしょう。更にイメージを広げるためにも新派や花組芝居など他の芝居も見たいものだと思いました。(新派の鏡花物は未見なもので・・・)


 ところで、観客の方で気になることがありまして・・・
どうも自分と他のお客さんとは台詞を聞いての反応が少し違うようなのです。

 例えば天守ですと例のお土産の首を巡ってのところで、朱の盤坊の「彼岸は過ぎたぞ」と舌長姥をあしらう条りで笑い声が聞こえなかった。そのかわり?獅子頭のことで富姫様と亀姫様が二人顔を合わせて「こんな男が欲しいねえ」というのにはかなり受けがよかった。う〜ん、ここって笑うところかなあ・・・?お二人の姿を眺めて感じ入るシーンだったと思うのだけれど。

 「歌舞伎を見に行く」ために来た人と「原作が好きで芝居を見に来た」私との、作品に対する温度差からの差異なのでしょうか。ここのところはよくわかりません・・・。(−−;)

| 鏡花研究 | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0)
逗子・鎌倉回り

  「ふっふっふっ、ローゼンメイデンいちの策士、この金糸雀にかかれば、どんなに遠くったって“しょーなんしんじゅくらいん”でイチコロなのかしら〜」

 「あの、カナちゃん・・・私、毎日それで通勤して・・・ううん、なんでもない」


 ・・・というわけで、策士のおかげで土曜日、一日で回って来られました。



  まず、逗子にあります岩殿寺(がんでんじ)から。駅からさほど離れていないのですが、中心街と反対側にあるので非常に静かです。

 参拝客もほとんど居らず観音霊場の巡礼の人に出会うくらい。

 東京では終わりかけた紫陽花がまだこちらでは盛りで、山門への入り口から一面に咲いている中を登って行きます。観音堂は完全に山腹にあるので、異界とすら感じる程でした。

 ここはまた来たいですね。特に春だと『春昼』の雰囲気がそのまま眼前に見られるような気がします。



 一駅もどって鎌倉に出ます。乱橋を見てから、鏑木清方美術館へ。この二つは鎌倉駅からそれぞれ逆方向にあるので移動が長いです。おまけに6月でこの暑さはキツイ。

 朦朧となりながら小町通りの人ごみを分け入り美術館に辿り着くと、こちらも門前から紫陽花が並べられています。清方が紫陽花を好んだことによります。結果オーライではありますが、丁度良い時季に来られました。

 生前の旧宅を改築した建物ですので、美術館としては少し小さいかなという気がしますが、寧ろこのこじんまり具合が場所柄もあって丁度良い位です。

 この日の展示では『註文帳』の挿絵の連作がありました。

 こちらも岩殿寺と併せてまた来たいです。



 (おまけ)

 実は、小町通りの途中で古書店に寄ったのですが、ショーウインドーに鏑木清方文集(全八巻揃)があるのを見つけて小躍りした瞬間、持ち合わせが無い事にガックリ。帰宅してから思案の挙句、月曜日、仕事帰りに押しかけてしまいました。閉店間際にすみませんでした。

・・・というのはカナちゃんには内緒にしといてください。
| 鏡花研究 | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0)
戸崎町と大塚町
 夏コミ新刊用の撮影に行って来ました。が…、前回(まだ冬でしたが)と違ってどちらも何にも痕跡が有りません。(・_*)


 町名もすっかり変わってますしね。今の名で言うと、戸崎町→白山二丁目、大塚町→大塚一丁目になります。(三田線白山駅・丸の内線茗荷谷駅が最寄)


 ただ、どちらも目安は付け易いのは幸いでした。大塚町は旧陸軍弾薬庫跡地の高台がそのまま残っているのと、戸崎町は小石川植物園のすぐ横に当たるので探すのは比較的楽でした。


 戸崎町時代に"外科室゛が書かれているわけですが(明治28年)、後半でこの植物園が舞台に使われているのも自然なことに思えます。(時間が無かったのと混んでいたのとで中には入りませんでしたが)


 これで都内(旧東京市十五區内)は一通り終わりました。後は逗子と鎌倉が残ってますが…ふぅ、一日で回り切れるかしら〜。(黄色い子風に)
| 鏡花研究 | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0)
神楽坂・横寺町・南榎町→屋根裏
なんにも残ってない・・・

 「鏡花研究」が旗印の当サークルにあって、今までブログ上でそのことに触れていないことにそろそろ焦りを感じだし、新刊の資料集めを兼ねて、先生の御住居跡の撮影に行ってきました。

 しかし、冬の撮影は時間が限られるのが出不精にはツライ・・・。ぎりぎり5時が限界です。

 タイトルの通り初めは神楽坂(当時は神楽町)から。何のよすがも無いのが悲しい。(T-T)
なので、電柱の表示板のみ。区もしくは理科大せめて商店会あたりで案内板ぐらい立ててもバチは当たるまいに・・・。(一応、神楽坂通り全体の案内板にはかろうじて旧居跡の表示はありましたが。)

 横寺町(尾崎紅葉旧居跡)と南榎町についてはちゃんと新宿区の立てた案内板があります。なかなか道が分からずに、結構迷いました。普通の住宅街にぽつねんとあるので、探しにくいです。なんとか写真に収めた頃には真っ暗になってました。

 すっかり冷えてしまいました。こういう時には屋根裏部屋に上がってメイドさんの入れてくださった紅茶を頂くのが一番です。(^_^) (←結局そこかい)
| 鏡花研究 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0)
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